シンガーソングライタージャニーズ

MASHとは何者?平野紫耀との関係や「僕がいた」のエピソードとは?

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mash シンガーソングライター

シンガーソングライターのmashが下北沢でのライブ中に、2023年5月23日でKing&Princeを脱退し、ジャニーズ事務所を退所する平野紫耀さんについて、語ったことがtwitterで話題となっています。

シンガーソングライターのmashとKing&Princeの平野紫耀さんの関係について調べました。

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MASH「僕がいた」を紹介した平野紫耀にライブ中に感謝

シンガーソングライターのMASHの「僕がいた」という楽曲の歌詞に、King&Princeの平野紫耀さんは背中をおされたと、「この歌詞が刺さったグッとフレーズ」というバラエティー番組で紹介しました。

mash

シンガーソングライターのMASHとは、どんな人物なのでしょうか。

シンガーソングライターMASH

シンガーソングライター MASH
氏名  増田憲一
生年月日 1979年7月11
年齢  43歳
出身地  愛知県
職業 ミュージシャン

1998年よりバンド活動を始め、2006年にソロデビューをしたシンガーソングライターのMASHさんです。

King&Princeの平野紫耀さんが紹介した「僕がいた」は2009年にリリースされた曲でした。

King&Princeの平野紫耀さんが紹介してくえたことで、13年の月日を超えて、Spotify「バイラルトップ50(日本)」のランクインを果たし話題となりました。

自身のライブの中で、紹介してくれたKing&Princeの平野紫耀さんに感謝の言葉を述べていました。

たかつ
たかつ

MASHさんの言葉が優しいのニャ~・・・

それがSNSで流されると、King&Princeのファン、平野紫耀さんのファンのティアたちが、MASHへ感謝し始めたのです。

MASH「僕がいた」を紹介したキンプリ平野紫耀

MASHの「僕がいた」がリリースされた2009年は、平野紫耀さんが12歳のときです。

キンプリの平野紫耀さんといえば、幼い頃に「川崎病」を患っていたことは有名な話です。

幼い頃から、身体が弱く、病気のために医者からも激しい運動については制限されていたといいますが、キンプリの平野紫耀さんは、運動神経が素晴らしかったのです。

成長するにつれ、体力がついてきたので、医者の許可を得て、小学校低学年からダンススクールに入りました。

めきめきと上達していき、あっという間に周囲から注目される存在になったのです。

しかし、小学校4年生の時に、ダンスをしていて、膝を怪我してしまったのです。

その怪我した膝は今も完治せずに、コンサートの際は痛みを堪え、パフォーマンスをしているそうです。

たかつ

たかつ

ファンのために頑張っていたんだニャ~。

両親が離婚をし、女手一つで育ててくれた母親への想いが強いキンプリの平野紫耀さんは、シンガーソングライターのMASHさんの「僕がいた」の曲に励まされたといいます。

MASH「僕がいた」の歌詞に背中を押された平野紫耀

2022年10月21日のTBS放送の「この歌詞が刺さったグッとフレーズ」でキンプリ平野紫耀さんが紹介しました。

キンプリ平野紫耀さんが、グッときたシンガーソングライターMASH の「僕がいた」の歌詞を一部抜粋しました。

平野紫耀1

確かに昔はたいした保障がないのに未来を信じれた
ファミリーつまり親親父おふくろは世間と戦った
「今、僕どうなの」自分に問う夢や理想ばかりで中身がない
愛するあの子も守れてない僕がいた
(シンガーソングライターMASH 「僕がいた」より一部引用)
 

キンプリ平野紫耀さんは、女手一つで育ててくれた母親を思い出しながら、今の自分と比べたり、様々な想いがあったようです。

平野紫耀2

それでも始めるしかないのか 光を集めるんだ
ひるんだらダメひるんでも良いんだよ
僕らは人間スーパーマンじゃない
明日はこっちでいいのかいひとまずこっちで良いのさ
いいよないいだろう
(シンガーソングライターMASH 「僕がいた」より一部引用)
 
2022年11月4日に、King&Princeの脱退報道が出てファンや世間を驚かせました。
この歌詞を読むと、そこに至るまでのさまざな葛藤があったのではないか、と想像してしまいます。
 
 

MASH「僕がいた」の歌詞が平野紫耀を動かした

 
2022年10月21日のTBS放送の「この歌詞が刺さったグッとフレーズ」でキンプリ平野紫耀さんは、King&Princeのデビュー秘話について話していました。
 
King&Princeの平野紫耀さんは、高校1年生15歳の時にジャニーズ事務所に入所しています。
 
お顔立ちとダンスのパフォーマンスで、ジャニーズJr.として、認知度や実力をつけていきましたが、
デビューにはなかなか至りませんでした。
 
2017年に20歳になり、デビューができないもどかしさを事務所の社長ジャニーさんに直談判しにいったそうです。
 
そのときも、MASHの「僕がいた」の歌詞が背中を押してくれたといいます。
 
mash4
 
 
事務所の社長ジャニーさんが手塩にかけていたKing&Princeの悲願のデビュー。
生前のジャニーさんが手がける最後のグループとして、
 
2018年にデビューを果たしました。
King&Prince平野紫耀さんは、当時ジャニーさんから、
 
「Youたちは全部自分たちで決めてやればいいから。それがきっと正解だから。」と言われたそうです。
 
平野紫耀3
 
2022年11月3日のKing&Prince脱退の報道から様々な憶測が飛び交う中で、このジャニーさんの言葉の裏を読んでしまいます。
 

King&Princeのメンバーそして、平野紫耀さんもこの言葉を聞いて、ジャニーさんが残した最後のグループとしての覚悟が芽生えたそうです。

平野紫耀4
 
「文句は僕たちに言ってもらって構わない」
 この覚悟をもって、ずっとKing&Princeとして、闘っていたのでしょう。
 
リフレッシュするときや悩んでいるとき、MASHの「僕がいた」が心の支えだったのでしょう。
 
シンガーソングライターのmashさんは下北沢でのライブで、平野紫耀さんの名前を出して、2009年にリリースした自分の曲を月日が流れても、愛してくれたことに感謝の言葉述べていました。
 
その様子が流れ、King&Princeのファン、平野紫耀のファンのティアたちが心を打たれていました。
 
 
 

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